ジャムの瓶の底

イラストのことや漫画やアニメや特撮のことを書きます。自分用の備忘録です。

『映画すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』感想:モノに溢れる世界の中で、大切な一つを愛する人へ

今年も映画すみっコぐらしを映画館へ観に行きました。1作目の『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』を配信で観て以来、すみっコぐらしの大ファンになってしまい、2作目を映画館で観て、今作も楽しみに待っておりました。観終わって、この感動を誰かに伝えずにはいられない!と思ったので、ブログを書いています。映画館を出た後に買った、くま工場長工場のてのりぬいぐるみのなんといとおしいことか…!彼らをパソコンの隣において、さっそく語り始めようと思います。 

映画すみっコぐらしのパンフレットの上に、工場とくま工場長のてのりぬいぐるみが置かれている写真

工場とくま工場長のてのりぬいぐるみ

ちなみに、わたしが鑑賞した映画館ではてのりぬいぐるみの販売はありませんでした。映画を観終わって、手元にこの子たちがほしい!と思った方に、公式のグッズ販売の開催店舗リストがご参考になれば幸いです。 映画館で買える特別版のパンフレットも、制作秘話や絵コンテが載っててとってもおすすめですよ!

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ネタバレなし感想 

1作目に引けを取らない名作 

映画すみっコぐらしの1作目、『とびだす絵本とひみつのコ』は、子どもが楽しめる優しくてかわいらしい世界観と、大人でも涙せずにはいられないような切ないストーリーが話題となった作品です。1作目のインパクトが大きい以上、どうしても後に続く作品は比べられてしまう部分があります。2作目『青い月夜のまほうのコ』は、優しい世界観はそのままに、魔法とすみっコの組み合わせをユーモラスに描きました。3作目の制作が発表されてから、次はどんなすみっコに出会えるだろう?とハラハラドキドキしていました。 

 

1作目は多くの人に感動をもたらした反面、切なすぎるラストには悲しくなってしまう観客も少なくなかったと思います。すみっコぐらしの世界観を活かした優しくて切ない物語と、子どもたちが笑顔になって映画館を出られるような物語とのはざまで、制作陣の方も悩まれたのではないでしょうか。 

 

そんなわたしの心配をよそに、今作はより進化した映画すみっコぐらしを魅せてくれました。1作目よりもさらに、すみっコ一人ひとりの性格の違いが描かれ、みにっコたちも大活躍し、アクション(!)もあり、それでいてしっかり胸を打つ。今までになかった、けれどもしっかり「すみっコぐらし」である作品に仕上がっていたと思います。 

 

「1作目で感動したんだけど、今作はどうだろう…」と迷っている方や、「最近すみっコぐらしに(自分が/子どもが)ハマったんだけど、今作から観に行っていいのかな…」と思っている方には、自信を持って今作をおすすめしたいです。 

 

ここから先は、ネタバレを見てもOKな方向けの感想になります! 

 

ネタバレあり感想

すみっコも、みにっコも、いきいきと! 

今作でまず良かったと感じたのは、すみっコ一人ひとりの個性がしっかり伝わってきたことです。くま工場長のおもちゃ工場で働くことになったすみっコたちの姿からは、性格がビシビシと伝わってきます。心優しいしろくま、真面目なとかげ、ちょっと気が強いぺんぎん?、気弱なねこ、愛情深いとんかつ…。おもちゃ工場には今日のMVPなる世知辛い制度があるのですが、そのMVPのポイントの配分に偏りがあるのも、(優劣ではなく、適性という面で)すみっコたちの個性をよく描いていると思います。とはいえ、そんな営業成績を貼り出されるなんてなんかツラいですよね。そのモヤモヤは後述の項目で触れていきます。 

 

すみっコたちのお友達であるみにっコたちも、今作ではいきいきと描かれています。大量のとんかつに引っ張られるえびふらいのしっぽのなんと痛ましいこと…。個人的にはいつも笑顔のざっそうが大変な目に遭っていろんな表情をしているシーンが新鮮でかわいかったです。なんだかかわいそうなシーンばかり挙げてしまいましたが、みにっコたちは自らの小ささを活かしてすみっコたちを救う大冒険をします。「みにっコとあそぼ」というテーマがあるほど、みにっコたち自身の魅力も大きいすみっコぐらし。えびふらいのしっぽ推しなので嬉しかったです! 

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そして何より、今作のゲストキャラクターと深い関わりのあるしろくまの優しさが存分に活かされた作劇でした。しろくまの手先の器用さはお母さんによく似たんですね。他のコと比べるとしろくま冬毛が生えてこないのかな?と細かいところまでビジュアルで考えさせてくれるところが素敵!ものを大切にするしろくまだからこそ、この物語は皆でハッピーエンドを迎えられたのだと思います。映画すみっコぐらしを観ると、すみっこたちのことがもっと好きになりますね。 

著者の自宅にある、すみっコぐらしのてのりぬいぐるみがたくさん入っている家の入れ物の写真。揚げ物が多い。

著者のすみっコハウス

大量消費社会と、大切なものと 

今作を観た人なら、思わず胸を締め付けられてしまう「工場」の存在。くま工場長に何か秘密があるのかな…と思いきや、背景として見落としていた工場もまた「すみっコ」だったんですね。すみっコぐらしはこれまでも食べ残された食べ物に命を与えてきましたが、まさか工場にも命を吹き込むなんて!すみっコぐらしのアニミズム的な世界観に一本取られました。 

 

最初は楽しく働くすみっコたちですが、次第にノルマに追いやられ、MVPを多く取れないコも現れ、次第に雲行きが怪しくなっていきます。みにっコたちが工場の外に出ると、動くおもちゃたちが町に溢れかえっています。なんとか工場を止めようとするすみっコたち。その光景と対照的に思い出される、ツギハギのしろくまのぬいぐるみ。そして明かされる工場の来歴と、涙…。 

 

「工場を動かしていたのは、工場だったのです」というナレーションは、まるで『モダン・タイムス』のような現代風刺をユーモアの中に抱えているように感じました。大量に物を作り続ける裏にいるのは、「誰か」という悪役ではなくて、「構造」だった。この大量消費社会が、「たくさん作らなければ愛されない」という強迫観念を以って工場を動かし続けていたんですね。 

 

工場はモノを作るための存在です。でも、そもそも工場は「皆の笑顔が見たくて」モノを作っていたと語られます。最初はすみっコたちが笑顔で受け取っていたおもちゃも、町に溢れかえれば恐怖の対象になります。これは一緒に見たパートナーの感想の受け売りなのですが、すみっコの世界は「一つのものをずっと大切にする」コたちの世界だから、新しいおもちゃが来ても大切にすることができなくて、戸惑ってしまうのかもしれません。モノを作るために生まれてきた工場。みんなの笑顔が見たくて頑張っているのに、モノは溢れかえり、「それはもう必要ない」と突き付けられた工場。工場は自分が何のために生きればよいかわからなくなり、泣いてしまいます。 

 

そんな工場のもとにやってくるすみっコたち。すみっコたちはそれぞれ、コンプレックスを抱えています。寒いのが苦手なしろくま、恐竜であることを隠すとかげ、自分が何者かわからないぺんぎん?、体型を気にしているねこ、残されてしまったとんかつ。そして、しろくまが大事にしていたつぎはぎのぬいぐるみがここで重要な意味を持ちます。もうリボンは外れ、帽子でくまの耳は隠され、元の姿からはかけ離れてしまったしろくまのぬいぐるみ。「新しくなくても、役に立たなくても、『大事』だから仲間なんだよ」というメッセージは、一人ひとりの生き方と、このぬいぐるみが過ごした時間によって、真に工場の心を動かします。 

 

「新しい」とか、「役に立つ」といった要素は、この社会で生きる上で、人にとってもモノにとっても求められてしまうものです。もしも、「古く」なったら、「役に立たない」存在と見なされたら、捨てられてしまう?そういった恐怖が蔓延しているのが、現代だと思います。 

 

すみっコぐらしシリーズだって、新しいテーマのグッズを定期的に販売しています。この作品のメッセージを欺瞞と感じる人もいるかもしれません。それでも、すみっこに生きるちょっとネガティブだけど愛おしいすみっコたちは、弱さも抱えて生きている人たちを励ましてきました。小さなてのりぬいぐるみは、場所を取らないようすみっこにちょこんと座って、誰かの心を陰ながら支えてきました。「すみっコぐらし」だからこそ、モノが溢れかえり、価値を証明しなければならない世界の中で、「新しくなくても、役に立たなくてもいい」と語ることができたのではないでしょうか。(モノを作り、売る立場から、矛盾しているかのようなメッセージを紡いだことは、どこか勇気のあることのように思いました。それは、誰かの宝物になるような大切なものをこれからも作り続けていくという決意のように感じられたからです。)

 

わたしのもとにも、18年も一緒のくまのぬいぐるみがいます。かけがえのない時を共に過ごした、だから「大事」なんだ。くま工場長と働いてきた日々は、すみっコたちと工場を繋ぐ絆になったんですね。 

著者の私物であるくまのぬいぐるみの足の裏の写真。「GODIVA 2005」と書かれている。

著者のくまのぬいぐるみ

オタクと、モノと 

何年も前のおもちゃを、モノを、大切にしながら一緒に暮らしている…というストーリーラインは、いわゆる「オタク」の人の経験と大きく重なるところがあると思います。モノを大切にするオタクの、モノへの愛を肯定してくれるのが今作です。一方で、『つぎはぎ工場のふしぎなコ』を見ていると、オタクとしての生き方について思わず考えさせられる思いがしました。 

 

たくさん出るグッズに、お金をいっぱい払う。好きな作品・キャラクターの絵を描くこと、物語を紡ぐこと、愛を言葉にすることと同じように、それは一つの愛情表現です。でも、お金をいっぱい払うことが「使命」のようになって、自分を苦しめてしまう…そういった経験をしている方は少なくないと思います。 

 

本当は、運命的に出会った一つの存在をずっと愛していたい。でも、コンテンツが、キャラクターが、グッズが、波のように溢れたこの世界で、一つの場所に留まることはすごく難しい。コンテンツの存命のためには、お金を落とさないといけない。でも、この手の中にあるものを本当は大事にしたい…。そういったジレンマが、オタクのわたしの中にはあります。 

 

自分が笑顔になるために、推しを愛している。かけがえのない一つを愛している。そんなオタクの出発点を、映画すみっコぐらしは思い出させてくれたように思います。 

 

すみっこから、もう一つのすみっこへ 

この作品の特筆すべき点は、「同じ」だからではなく、「大事」だから「仲間」なんだと工場にすみっコたちが語りかけた点です。アイデンティティの喪失」という同じ共通点を持つすみっコたち。でも彼らが経験してきたことは全然違うし、性格もそれぞれです。違うところもある他者。でも、かけがえのない幸せな、「大事」な時を共に過ごしたから、彼らは「仲間」として手を繋ぎます。すみっコたちの連帯は、強いけれどゆるやかな、異質さをも包み込む絆です。 

 

だから工場も、映画館となって違う町へと移っていきます。属性ではない、思い出で繋がっているから、工場は映画館になってもすみっコたちの仲間です。モノを作らない工場としてここにいてもいいし、みんなの笑顔をもう一度生むために映画館として新たな人生を生きてもいい。どこにいても、どんなあなたでも、すみっコだから。旅をするぺんぎん(本物)が時折すみっコたちのもとを訪れるように、すみっコの世界は「来るもの拒まず、去る者追わず」のゆるやかな絆で繋がっています。もう、工場はしろくまたちと同じ町にいなくても、きっと幸せになるでしょう。 

 

エンドロールで語られる、工場の新たな物語。もう動かないくま工場長も、館長として誇らしげに座っています。映画館となった工場は、あなたの前で、笑顔を見せます。 

 

すみっこで生きるあなたのために、もうひとつのすみっこからやってきたんだよ。あなたの笑顔が見たくて、ここまで旅をしてきたよ。この大切な物語を一緒に経験したあなたも、大事なすみっコの仲間なんだよ。 

 

そう語りかけるように。