ジャムの瓶の底

イラストのことや漫画やアニメや特撮のことを書きます。自分用の備忘録です。

タイバニ16話感想 ユーリ・ペトロフという熾烈な人

この文章には、虐待とアルコール依存症の詳細な描写、および個人的体験に基づく主観的な憶測が含まれています。以上の表現を求めない場合の閲覧を推奨しません。辛い思い出のある方は、読む際に無理をなさらないでください。また、アルコール依存症や飲酒にまつわる正確な情報は、末尾に掲載した厚生労働省のサイトをご参照ください。

 

ユーリ・ペトロフというキャラクターが大好きな自分にとって、タイバニ16話は衝撃的で、見た後に数日間体調を崩してしまいました。彼の体験は自分の体験と重なる部分も少しあったので、大変主観的な内容なのですが書かせていただきました。

ユーリ・ペトロフの姿について

タイバニを見始めたころは、彼の外見から中性的な印象を受けていて、その雰囲気がとても素敵だと感じていました。顔にかかる前髪やリボンで結われた長髪、暗い色の唇はミステリアスな感じがしますし、紅茶やコーヒーを愛飲するすらっとした立ち姿が儚げに感じられました。

ただ、16話を見たことで、彼の中性的な外見は、先天的なものというよりも意図的に彼が男性性を避けるために選んだものではないかと考えるようになりました。まず、彼は火傷を隠すためにメイクをしています。左右非対称の長い前髪は火傷を隠すためのものです。ただ、彼が長髪で痩身で中性的な(女性的な)見た目をしているのは、父親のようになっていく自分を見たくなかったからという理由がかなり強いと考えています。

痩身なのは、恰幅の良い(もしかしたら、過度な飲酒による肥満なのかもしれません)父親とは真逆の姿です。長髪であるのも同様に、髪を切ると父親のようになってしまうことへの恐怖があると思います。紅茶やコーヒーを愛飲しているのは、アルコール依存症の父親が嗜んでいた酒への強い忌避もあるかもしれません。(16話で彼に優しく話しかける父親がティーカップを持っていることから、父親へ捨てきれない思いもあるのかもしれません)

彼は父親の「悪を懲らしめる強い男になるんだ、それでこそパパの息子だ」という言葉を大切に胸に抱いていたからこそ、父親に立ち向かい、事件(事故)は起きてしまいます。ルナティックとしての活動の根底にあるのは「強い男にならなきゃ(パパの息子にふさわしくない)」という強迫観念です。一方で、「強い男」であり続けようとして弱者である妻に暴力を振るった父親を許せないため、「男らしさ」を忌避した格好をユーリ・ペトロフは選択していると私は考えます。「男らしくありたい」と「男らしくなりたくない」の二つの感情の間で揺れ動く彼の姿は、彼の外見にも非常によく表れているのではないでしょうか。

彼は徹底して自分が憎む父親の姿を避けるようにして生きています。一方で、ルナティックのデザインは父親につけられた手形がモチーフになっています。そもそもNEXTの能力を行使して悪人を懲らしめるという行いそのものが父親であるレジェンドの姿をなぞっています。父親を憎悪しながらも執着し、父親の生き方を再演してしまう彼の葛藤は、後述するようにアルコール依存症患者の家族の姿の一つの形として、非常にリアリティがあると私は感じています。

 

アルコール依存症について

 ヒーロー界の伝説であるレジェンドが家庭では家族に暴力を振るい、仕事においては不正を行っていたというニュースは虎徹さんにとっても、視聴者にとっても非常にショッキングなものでした。神話となっていたレジェンド像の解体は、同時に虎徹さんにとっての「夢」であったレジェンドの姿が老いていく虎徹さんに重なっていくことも意味しました。

 レジェンドは能力の減退に伴い、仕事で思うように結果が出せず、過剰な飲酒に耽るようになりました。私はこの状態をアルコール依存症であると定義して文章を書いていますが、この解釈が必ずしも正しいとは思っておりません。しかしながら、アルコール依存症家庭内暴力には強い関係がある場合が多いです。

 アダルトチルドレンという言葉は、現在では「機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人」を指しますが、元来は「親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人」を指す、「adult children of alcoholics」の略語です。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)この言葉の成り立ちから分かるように、親がアルコール依存症である家庭環境は、時に子供の成長に悪影響を及ぼすことがあります。また、アルコール依存症患者においては一般人口に比較し暴力問題が頻繁にみられ」家庭内暴力児童虐待と飲酒は切り離すことのできない問題です。(出典:飲酒と暴力 | e-ヘルスネット(厚生労働省)< https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/alcohol/a-06-005.html>)

 以下は個人的な体験・知見に基づく主観的な意見なのですが、アルコール依存症の親がいる家庭の子どもは、酔っていないとき(あるいはそこまで酩酊していないとき)の「まとも」な親の姿と、酔ったり酒を求めたりするときの「まともでない」親の姿との間で葛藤する場合があります。「本当はこんな人じゃないと信じたい」と、「こんなひどいことをする人を親と思いたくない」の板挟みになって、親を信じるべきか信じないべきか、激しく苦悩します。親を信じないで生きることは子供には難しいので、信じるたびに裏切られる経験が積み重なります。

 これは憶測にすぎないのですが、ユーリ・ペトロフが父親を憎悪する一方で幻覚を見るほどに執着しているのは、以上のような体験があったからかもしれません。彼は幼い頃にテレビで見た、活躍している父親の姿を本当に愛していたと思います。だからこそ、正義のヒーローである父がDVをすることを受け容れられず、今も憎み切れていないのではないでしょうか。彼にとって父親は許せない存在であると同時に憧れだったのだと思います。その葛藤が彼をルナティックの姿で月夜に駆り出させるのではないでしょうか。

 アルコール依存症であったレジェンドが、今でもバーの衣装やバーで提供されるボトルのラベルに姿を残していることは、非常に皮肉であると思います。

 

家族について

 ユーリ・ペトロフ「ヤングケアラー」という現在の社会問題も同時に背負っています。彼の母親は暴力を受けながらも夫のことを(おそらく息子のこと以上に)愛しており、幻覚を見ては暴言を吐く彼女を、彼は大人になった今も同居しながら介護しています。父親を失ったのは彼が少年の頃ですので、彼は幼少期から母親を一人で介護していたものと考えられます。(これに関して、設定資料集等で介護サービスへの言及があると耳に挟んだので注釈を入れさせていただきます。確認でき次第追記します。)

 彼は幼少期に暴力を諫めようとして父親に「パパ」と呼びかけていますが、現在、父親は「あんた」と呼ぶ一方で母親のことを「ママ」と呼んでいます。幼少期の頃から親の呼び方が変わらない方ももちろんいますし、私もそうなのですが、彼の場合にこの呼び方は幼少期から時間が動いていないことの象徴であると思います。彼は父親によって面前DV(心理的虐待)を受け、後年は母親の介護をし続け、永遠に「子供」の立場で家族から搾取されています。彼は責任を感じているので母親を疎ましく思いながらも捨てることができません。しかしながら、本当は福祉や行政が介入すべき事案であると私は思います…。

 また、「悪を許さない」という強い覚悟において、バーナビー・ブルックスJr.とユーリ・ペトロフは共通しており、二人は対照的な存在です。「幼少期に親からの愛情を充分に受けることができなかった」という点、そして火事がトラウマである点で、二人は同じです。しかしながらバーナビーくんにとっての家族は美しい思い出のままで、ユーリ・ペトロフにとっての家族は永遠に苦々しい記憶です。そして何よりも、二人の決定的な違いは心を開くことができるバディに出会えたか否かではないでしょうか。

ユーリ・ペトロフの信念について

当初はルナティックが殺人者を追う理由として、事件によって家族を亡くしたからだと解釈していました。しかし、実際は彼自身の手で(能力の発現による事故だとも思うのですが)父親の命を奪ってしまいました。ルナティックが殺人者の命を奪う理由は、殺人者を自分と同類であると考え、自己を罰する延長線上で他者を罰したいと考えているからかもしれません。ルナティックの活動の原点である感情は、フロイト的なタナトス(死へ向かう欲望)や自殺願望なのではないでしょうか。一度人を殺めてしまったからには引き返すことができず、永遠に罪を重ねることでしか自分を許せなくなったのではないでしょうか。(キャラソンの「タナトスの声を聞け」は、「自分こそが殺人者である」という自己矛盾に悩む姿や自罰感情がよく表れています。)

8話でエドワードをかばったイワンに対し、殺人者を庇う者も同罪であるとしてルナティックは攻撃します。殺人者を庇う者を憎む背景には、暴力を振るう父親を今も庇い続ける母親への怒りや失望があるのかもしれません。

 ただ、彼が母親へ抱いている感情は失望以外もあると考えています。Twitterの再掲になってしまうのですが、女性を狙った連続殺人犯を16話でルナティックが仕留めるのは、立場が弱い女性の母親に暴力を振るった父親への怒りであり、その母親を助けられなかったことへの彼なりの償いなのかもしれないと思いました。だからこの回で裁かれる犯罪者としてものすごく意味のある描写だったと思います。

 レジェンドの姿は、八百長も含めてテレビやマスメディアが作り上げた幻想でした。幻想の裏側である家庭で苦しんだ彼だからこそ、テレビを嫌い、時にカメラへ向かって挑発的な態度を取るのでしょうか。彼が司法局に勤務しているのは、凶悪犯の情報収集が主でしょうが、ヒーローの不正な取引が行われないように見張る目的もあるかもしれません。

 一方で、彼は「正義」やヒーローに強くこだわり、「やはり悪は滅びる宿命だ」と呟く一面もあります。それは、自分が引き起こした事件の正当化のために「正義」を信じたいという心情もあるでしょうが、幼い頃にテレビで見たレジェンドの姿を今でも愛しているのだと思います。「やはり悪は滅びる宿命だ」「ヒーローを信じることができてよかった」という安堵も含まれます。その安堵は、自分を裏切り続けた父親との安らかな思い出を否定せずに済んだ安堵なのではないでしょうか。

「司法が裁けない悪」とは何か

 「司法が裁けない悪」を裁くルナティックが、本当に裁いてほしいと願っていたものとは、何だったのでしょうか。「司法が裁けない悪」とは、殺人者ではなく、社会によって覆い隠された家庭内暴力だったと考えることもできると思います。家庭の問題は家庭で解決することが求められ、介護や暴力や虐待の問題に苦しむ声が社会に聞き取られないという状況は、残念ながら今の社会にも根強く残っています。彼の家庭が早くに福祉に繋がることができていれば、ルナティックは生まれずに済んだのかもしれません。

 

おわりに

 TIGER&BUNNYが掲げる倫理とは、虎徹さんが8話で「俺の正義はな、お前みたいなバカを捕まえることだ!」と宣言したように、犯罪者は法による裁きを受けるべきであって私刑や死によって償われるべきではない、というものだと思います。2話で能力を暴走させた少年が警察に引き渡される場面が私は好きなのですが、同様にルナティックの罪も死ぬことによって償わせる展開にはならないのではないかと考えています。

 ユーリ・ペトロフとルナティックは、様々な社会問題やシュテルビルトの構造がもたらす歪みを映し出す鏡のような人物です。彼は強くて美しい魅力的なヴィランでありながらも、苦しみながら生きる一人の人間です。月夜に戦うルナティックと、太陽の照り付ける日に悲劇が起きた少年のユーリ・ペトロフは残酷なコントラストとして網膜に焼き付きます。その熾烈な生き方が、目を惹きつけて止みません。彼が思い悩み戦い生きていく様を、これからも見届けたいと思っています。タイバニ2期、楽しみです!

そして、様々な家庭問題で悩んでいる方が、適切な福祉や医療のサポートに繋がることができるよう、心より祈っております。

 

 私は彼が父親の姿の溢れる残酷なシュテルンビルトを去り、自分を憎む母親の世話を誰かに預けて彼女から離れ、穏やかな片田舎で一人静かに暮らせるような未来があればいいなと、勝手ながら願っています。

 

<参考資料>

アルコール健康障害対策|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000176279.html

飲酒と暴力 | e-ヘルスネット(厚生労働省

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/alcohol/a-06-005.html>

酔うと化け物になる父がつらい #1 | 菊池真理子 (mangacross.jp)

 

Twitter:雑多垢:@kokage_M78 タイバニ垢@kokage_ta1ba2

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